神の手はオレンジに染まる

私には、人に誇れて世のため人のために役立つ、誰にも負けないワザが一つだけある。このワザがいつから備わったのか記憶がなく、ワザを磨くために何の努力もしたことがない。まさに「神に選ばれし者」、それが私である。

その才能とは、驚くなかれ、「秘技・温州みかんの選別」だ。…あ、そこそこ、まだ話の途中なんだから帰らないように。
たかがみかんとバカにしてはいけない。掌で握っただけで、早くて一瞬、長くて数秒のうちに、美味なみかんかどうかはもとより、味の質まで見分けることができる。普通のみかんの中から美味な個体をえりだすのはもちろん、まずいみかんの中から、どうにか食える個体を選びだすことだってできるのである。自分にとって美味なみかんを探せるだけではない。おおまかな味の好みを教えてもらえれば、必要に応じて、山と積まれたみかんの中から、あなたの味を選びだしてさしあげましょう。今後は、「天才みかんソムリエ」とお呼びいただきたい。

天与の才の持ち主がたいていそうであるように、幼少のころ、私は自分に与えられたこの恩恵を、特殊なものだと思っていなかった。私の実家はみかんの箱買いをしていて、家族は誰でも好きなだけみかんを食べることができた。幼い私は当然のごとく、さわって美味しい個体を選びだして先に食べた。全体の水準がやや落ちてくると、その中からなるたけ美味そうなものを選び、食べつくしてしまうと、さらに残りの一群から第三のグループを選びだす。

一方、私の母は、みかんの数が減るにつれて、家族の手に渡るみかんの味が落ちることに気がついた。傷んだり黴びた個体が残されるのは当然としても、なぜ味まで落ちるのか。自然に味が落ちるにしては、あまりにも落差が激しい。まるではかったようにまずい個体ばかりが残るのである（はかってるんだよ）。
この疑問を解くべく、彼女はみかん箱前での偵察行動に身を投じ、ほどなくして、二階からおりてきた年端もゆかぬ娘が、箱に手をつっこんでごそごそやっているのを発見した。
母「あんた、何やってんの…？」
私「おいしいやつ選んでんの」
母「そ、そんなことができるの？」
私「うん」
私が差し出したみかんを食べて、彼女は絶句した。

天才とは悲しいものである。無邪気ゆえにその才は思いがけぬ形で露見し、知られた後は人に搾取されるばかりで、自分の手には何も残らない。私はその日から、その才能をもって家族に奉仕することを義務づけられたあげく、自分ひとりで「おいしいの」をガメてはいけないことにされてしまった。
すなわち、家族団らんの席にみかんが出ると、私がまず選ぶ。最初の優先権は与えられるかわりに、家族やお客に、それぞれの好みの味を選んでやらなければならないことになった。酸味も甘みも強めのもの、酸っぱいめのもの、甘くて水っぽいもの、ごく短時間で、自由自在にとりだして見せる私の指は、「神の手」と呼ばれた。

みかんシーズンになれば、母について買い物に行かされ、八百屋の店先でみかんを選ぶ。
近所の八百屋のオッちゃんは、私を恐れた。
「さぁ〜、奥さんどうですこのみかん、美味しいの美味しないの、ほんまに甘いで、プロの保証つきやで！」などといった口先だけのセールストークなど、ゴッドハンドの前では児戯に等しい。箱の中から適当に選びだしてさわれば、その箱全体の味の水準、質はだいたい見当がつく。まさか私にだけさわらせないわけにもゆくまいし、私はみかんの大量消費者だったので、八百屋に損害を与えたわけではないだろう。

こういう能力は、大人になると消えてしまうことが多い。けれど私の場合、思春期を過ぎ成人しても、何ら才能を損なわれることがなかった。私は本物だった。
天才みかんソムリエのままお嫁に行き、二人暮らしを始めたある日。
その近所にはめぼしい八百屋がなく、かわりにスーパーがいくつもあった。二人暮らしでは、みかんを箱買いすることができない。そして、スーパーで売られているみかんとは、ザルに盛られた一山いくらではなく…………。

全体がすっぽりと、ビニール袋に包まれているのだ。

掌で直接さわれなければ、私は能力を発揮できない。もちろん色や形などの視覚的要素も大事だが、ビニールで包まれた上にけばけばしい照明を当てられた日にゃ、反射がひどくてその「視覚」すら曇ってしまう。エスパー封じとはこのことだ。
この屈辱、この苦難。人もあろうにこの私が、あまたの凡人よろしく、「まずいみかん」をつかまされる危険にさらされるとは……！
やむなく私は、とにかくビニールの上からみかんを握り、あとは目だけでみかんを選別するハメになった。今、これを書きながら、正月用のみかんをつまみ食いしている。けっこう美味い。明日また同じ店に行って、ビニールの上から選別し、シールドを突破しての百発百中を目指して精進するのだ。さしもの天才も、巨大資本の流通形態の前に挫折し、ここにきてようやく、「ワザを磨く」という努力を強いられることになったのである。

＜教訓＞
＊みかんは八百屋で買いましょう。
＊各所スーパー青物部のみなさん、みかんをビニールやネットで包むのはやめてください。