まえがき

ここからは、紅玉薔薇屋敷の真の女主人、わたくし小紅玉が担当いたします。

わたしのママは、この世でわたしが唯一敬愛する人間ですが、ときどきよくわからないむだなことに夢中で、毎日のたいせつな義務（それはもちろん、わたしをおひざに乗せてなでてくれたり、たっぷり時間をかけてブラッシングしてくれたり、おやつを出してくれたりすることなのですが）をなまけたり、「あっちに行きなさい」などといってわたしを遠ざけようとすることがあります。
しかし何といわれても、わたしはいつもママのそばについて様子を観察していますから、ママのすることで、何だってわからないことはないのです。ママは優しくて良い人だけれども、彼女が自分で思っているほど賢明ではありませんから、そばにいて見ていてあげなければなりません。

そんなママがこの前から、お台所でせっせと何かしています。お料理をする時間ではないし、洗いものなら、いつも夜になるとやってきて朝早く帰ってゆくおじさんがするので、何かおいしいものをつくってくれるのかと思って見にいくと、またしても「危ないからあっちへ行きなさい」というのです。
わたしは、いうことをきいて少しだけ下がりましたが、それでもこの理不尽なあつかいにたいして一声抗議しました。
ママは、「これは石けんです。危ないの」と答えます。

石けん！
石けんですって！
それはたしかに、危険きわまりないものです！

石けんというのは、あなた、ご存じですか、人間は自分で体をなめてきれいにすることができないので、水という、ほんらい飲むためだけにあって、体につけるなんてことは考えるだにおぞましいあの液体を、「ヨクソウ」という大きな水たまり用のくぼみにいっぱいためて、その中に入って体を洗うのです。おそろしくてとても信じられないことですが、本当なのです。
そして、「石けん」というのは、人間が体を洗うとき、ぶくぶくと泡を立ててこするための、チーズみたいな形のものです。チーズと同じ色のものも、葉っぱと同じ色のものもありますが、俗悪なけばけばしい色のものもあります。ほんとのチーズなら私も大歓迎ですが、このチーズもどきはまったくいただけません。

ママはヨクソウにあたためた水をいっぱい入れて、その上、水をみどりいろにしたり白くしたりして、その中につかります。どんな魔法をつかったものか、ほんとうにさっと色が変わるし、ヨクソウのある部屋はとてもあたたかくなるので、これは悪くありません。わたしは好奇心にかられて、それに、ママと一緒にいたりもしたいので、気がむくとついてゆくことがあります。ヨクソウ部屋の扉の下に座ってママを観察したり、ヨクソウのふちを歩いて、きらきら光る色水をちょっとさわってなめてみたりします。
しかし、あくまでそれだけです。
水は、つめたいものであろうとあたたかいものであろうと、なめたり飲んだりするのはよくても、体につけたりなんかするのは、ぜったい、ぜったい、ぜったいにごめんです。ママが「石けん」とやらを使い出すと、シャワーからあたたかい水がじゃあじゃあ出るので、わたしはその瞬間、一目散に部屋から出てゆくことにしているのです。

そのような石けんを、ママは自分でつくるというのですから、これは一大事ではありませんか。
人間というのはとてもあさはかで勝手な生きものですから、ごくたまに、わたしまでヨクソウに入れてあたたかい水をかけ、「お風呂にいれる」と称して洗おうとするのです。どうして、いつも優しいママが、あのような暴虐をはたらくことができるのでしょう。
だいいち、あたたかい水を体中にかけたあと、タオルでごしごしこすって乾かそうとするなんて、まったくむだな行為ではありませんか？毛なみは乱れるし、寒いし、いやな匂いが体についてしまうし。最初からぬらさなければいい、それだけのことなのに。すこしでも考える頭のある者なら、誰だってそう思うでしょう。それに、そのおそろしさふゆかいさといったら、とてもここには書けません。そしてこのとき、もちろん、あの石けんという悪魔のチーズが使われることになります。

わたしは決心しました。
ママが石けんをつくるときは、今よりさらにしっかりと監視していなければなりません。そして、もし万が一ママが、またしても私をヨクソウに入れようなどという呪われた企てにかられることがあったら、本棚の上にかけあがって、けっしておりてこないことにします。
そのために、ママが悪魔のチーズをつくっているいちぶしじゅうを観察して、ここに書いておこうと思いますが、もちろんわたしは、一日も早く、ママにこんな無意味なことはやめてもらいたいと願っています。お台所を石けんの材料に占領させたりせず、私のおやつ、おさしみや鶏肉をゆでるという、ほんらいの目的に使ってほしくてしかたがないのです。