地獄の鉢替え大作戦（その３）

- 鉢替えの手順、もしくはアブラハム・ダービーという思想について -

結局、一年以上もかけて、私はせっせとプラスティック鉢や木の樽への移行を続けた。やはり、消費経済資本主義の暴虐はバカにできないものがある。折りにふれて、崩れそうになった古紙製のポットの数を数え、いくつか補充しては、標準的なサイズ（８号鉢や１０号鉢 * ）のものから、とりかえていった。

以下は、底部の崩れた古紙製コンテナからの真夏の鉢替え、すなわち、土を全とっかえしないときの手順である。私と同じ程度に愚かしいことをする人が、世の中にそうそういるとも思えないので、ほとんど誰の役にも立たないような気がするが、わが空中庭園の読者諸氏に、そんなことで文句を言い立てるような悪しき実利主義にかられた方は、一人もいらっしゃるはずがないと、私は心から信じてやまない。

１）空のプラスティックのプランターなどに、新しい土を配合しておく。
２）古紙製ポットの周辺を掃除する。
３）大きなビニールのゴミ袋（なるべく丈夫なもの）を用意し、古紙製ポットのなるべく近くによせて、あらかじめ口を広げておく。
４）新しいプラスティックの鉢に、あらかじめ、ちょうどいいサイズに切った鉢底ネットを入れ、赤玉土を敷いておく。
５）古紙製ポットとゴミ袋の近くに、新しいプラスティックの鉢を置く。
６）古紙製ポットをなるべく持ち上げないようにして、ゴミ袋の中にずらして移動する。
７）すべてをゴミ袋の中に入れたまま、古紙製ポットの口を手で広げる（この時期になると、風雨と水と微生物の分解活動にさらされて、かなりもろくなっている）
８）口の辺りがまだ堅いときは、ゴミ袋の中にさらに手を突っ込んで、もろくなっている底の方から外してゆく。
９）樹の根元を持って鉢ごと持ち上げ、根と絡みあった底石を取る。
１０）樹の根元の土を、新しい鉢のサイズに合わせて、慎重に、両側から均等に若干崩す。（真冬の鉢替え、すなわち、土を全とっかえするときは、あらかじめごっそり土を取ってしまう）
１１）樹を新しいコンテナに移動する。
１２）あまったスペースに新しい土を加え、必要なら堆肥を入れ、ピートモスでマルチングする。
１３）ふたたび掃除をしてから所定の場所に移動させ、たっぷり水をやる。
１４）袋に残った土の中から、土と石をよりわける。
１５）土だけを、再利用するための保存場所に持っていき、堆肥などと混ぜて熟成させておく。
１６）古紙製ポットは手で裂けるようになっているので、細かくして捨てる（必要ならハサミを使う）

たぶん、読むだけでめんどくさいと思う。これがプラスティックの鉢で底敷きが赤玉土なら、樹を鉢ごと横倒しにして、鉢のふちを叩いたのち、根元を持って引き抜けば、土つきですっぽり取れる。そのまま一回り大きな鉢に植え替えるなり、土を取り去ってすべて新しい土にすればよいことで、手順はかなり省略できる。つまり、崩れた植木鉢は、ものすごく厄介な代物なのだ。古紙製のコンテナを使うときは、早め早めの植え替えを覚悟しなければならない。恒久的に使用するものではないのだろう。
しかし、それでもなお、しつこく３０リットルの鉢は最後まで残った。紙は、水と土と有機肥料と、微生物の分解活動で崩れてゆく。大型のコンテナにはそれだけ厚く紙を貼ってあり、防水力も高かったので、ゆっくりととりこぼす土の量をふやしながら、我が家に来てから実に三年半、そこに立ち続け、アブラハム・ダービーを養い続けた。

アブラハム・ダービーは、作出者であるデビッド・オースティン・ローズ社の公式発表では、樹高１５０センチ、横幅も同じくらいになる樹だが、日本の気候ではつるバラ様になり、３メートルにまで枝を伸ばすことがある。もっとも、ハイブリッド・ティー（四季咲き大輪のモダン・ローズ）にきわめて近い品種なので、低く剪定しておけば直立性の樹として扱える。枝ぶりは、自然に弓なりになって整い、トゲも比較的少ないので、初心者にも扱いやすい。返り咲き性が高く、花つきがみごとで、くりかえしくりかえし美しい花を見せてくれる。その花色は、アプリコット・ピンクとも杏色とも黄味がかった薔薇色とも、一口では形容しがたい。気候によっても色を変えるし、同じ花でも、開き具合によって変化する。その微妙さ、変容してゆく姿に、何とも言えない良さがあり、どのように変容しても、色合いはそれぞれに美しく、また、アブラハム・ダービー的としか言いようのない、この品種独特の色合いを保つ。見事と言うべきであろう。つねに固定的な色合いを維持することが完成度の証とされるハイブリッド・ティーとは、思想的に異なる新しいカテゴリーが、イングリッシュ・ローズという一群なのだ。
そしてまた、この品種は、いかにもイングリッシュ・ローズ的な思想を体現するごとく、ガーデン・ローズに欠かせない実用性にすぐれている。すなわち、たんに花が美しいだけでなく、枝ぶりが良く、樹形全体の姿にすばらしい均整がある。いたって丈夫で、気候の変化に強く、無農薬栽培が比較的容易に可能である。オールド・ローズ的な可憐な花形と高い芳香を再現しながら、現代バラの色鮮やかさと大輪さをかねそなえている。全体性という面で、きわめてバランスの良い品種なのだ。
バラ園を作るとき、私は、この名品を、主木の一つにするつもりだった。中央の目立つ場所に置いて、だからこそこれほど大きな見栄えのするコンテナに植えたのである（言い訳）。計画自体は図に当たり、アブラハム・ダービーは、見る間に私の身丈ほど、１６０センチ近くまで成長した。

ああそれなのにそれなのに（古歌より）、２１世紀の到来は、私の怠慢を告発するとでもいうのだろうか、今年の夏、コンテナが崩れた。正確には、崩れそうになったのを発見して、気候的にも、万難を排してとりかえなければならない、と、ようやくあきらめがついたのだった。
地獄の風呂釜のような京の夏にさらされた寒暖計は、摂氏３８度にまで目盛りを上げる。できればこのまま、せめて９月まで、コンテナがもちこたえてくれればいいが、と私は心で願っていた。
しかし、夏の夕立は続く。
崩れかけて傾いたコンテナの上に、短時間ではあっても、激しい大粒の雨が連日降り注ぐ。
降れば少しは涼しいが、その分紙は崩れる。
朝夕少しは風のくる、日陰に入っていればどうにか息のつける日がつづいて、私はとうとう決意した。

鉢を替えるぞ。
愛しいアブラハム・ダービーのためにも、たとえ３０リットルが５０リットルであっても、おお、鉢を替えてやろうではないか。

* ８号鉢や１０号鉢
鉢の大きさは、口径によってだいたい決まる。８号鉢は、口径の内径が２６センチ程度のもの。古紙製コンテナの場合、高さも２６センチ程度。１０号鉢は、これより一回り大きく、内径が２８センチぐらい、高さは２８〜３３センチぐらい。